吹奏楽部員たちが部活に燃える日々の中で、書き綴るノートやメモ、手紙、寄せ書き……それらの「言葉」をキーにした、吹奏楽コンクールに青春をかけたリアルストーリー。ひたむきな高校生の成長を追いかける。
第7回は旭川明成高等学校(北海道)#2
この2曲で全国へ!
2024年度が始まり、28人の1年生が入部してきた。全部員で74名。旭川明成高校吹奏楽部はこれまでで最多の規模になった。
部長のヒメは毎日奮闘していた。中学時代は副部長を務めていたが、こんなに大勢のリーダーになったことはない。同期はわずか12名。新入生のケア、「やめたい」と言い出す同期の引き止め、自分自身の練習……。目まぐるしい毎日だったが、それでも日々は充実していた。
部活ノートも、日々の思いだけでなく、自分なりに考えた練習内容を「目的」と「内容」という項目に分け、図を入れながら書き込むなど、工夫して活用していた。

今年の明成のコンクール曲は、課題曲が酒井格作曲《メルヘン》、自由曲は樽屋雅徳作曲《Crossfire 2023 ed. - November 22 J.F.K》と決まった。自由曲はアメリカ大統領だったジョン・F・ケネディの暗殺事件をテーマにしたドラマティックな曲だ。
ヒメはこの曲を聴いた瞬間に「カッケー!」と思ったし、佐藤淳先生も「今年の3年生に合ってると思って選んだ」と言ってくれた。
課題曲の練習では「全身リトミック」も取り入れた。楽器を使わずに楽譜を声に出して歌いながら、手足や表情など体中の動きを使って曲を表現するのだ。目に見えない音楽というものを、視覚と動作によって理解し、形にする方法で、練習の効果は大きかった。

「よし、この2曲で全国に行くぞ!」
ヒメは意気込んでいた。
今年は、これまで全国大会が行われてきた名古屋国際会議場センチュリーホールが改修工事に入るため、会場が栃木県の宇都宮市文化会館になる。ヒメの頭の中にぼんやりと未知のホールのステージと、そこでユーフォニアムを吹く自分の姿が浮かんできた。
新部長を襲った異変
最初の兆候が出始めたのは5月のことだった。
1カ月後に行われるオーディションに向けて練習を重ねていたヒメは、体に違和感を覚えた。
(あれっ、唇が痒いな……)
唇を震わせて演奏する金管楽器の奏者には、唇が腫れたり、口内炎ができたり、といった不調はときどき起こることだ。
そのときのヒメは「きっとしばらくすれば治るだろう」と思っていた。いや、思おうとしていた。
正直に言えば、どこかに嫌な予感があった。ヒメはその気持ちに自ら蓋をして、気づかないようにしていた。
練習量を減らして様子を見た。ところが、唇は治るどころかますます荒れていき、何カ所も切れて血が出るようになった。
「もしかして、もう楽器を吹くのは無理なんじゃない……?」
心に浮かんだその言葉を否定しようとしたが、現実がそれを許してくれなかった。赤く腫れていた唇は、やがて黒ずみ始めた。唇だけではない。手も腫れるようになっていた。
その様子に淳先生が気づかないわけがなかった。
「おい、ヒメ。吹くのやめろ。唇を真っ黒にしてまで、演奏に青春をかけちゃいかんぞ」
先生に言われて、ヒメもようやく現実に向き合った。病院に行って検査を受けた。すると、金属アレルギーという結果が出た。
「あ、終わった……」
シャッターが下ろされたように、目の前が暗くなった。
「毎日早起きして朝練して、部活ノート書いて、必死に頑張ってきたのに。今年は高校最後の年で、全国大会に行くって決めてて、部長にもなって、両親も応援してくれてたのに。もう大好きなユーフォを吹けない。せめて発症があと半年遅かったら、全国大会まで演奏できたのに……!」
ヒメは自分に与えられた宿命を恨んだ。こんなことがあっていいのだろうか。
もう演奏はできない。コンクールにも出られないし、イベントやコンサートにも出られない。では、何のために自分は吹奏楽部にいるのだろう? いままで重ねてきた時間、注ぎ込んできた青春の日々はすべて無駄だったのだろうか?
「部活、やめよっかな……」
絶望のどん底に突き落とされたヒメに手を差し伸べてくれたのは、コーチとして指導してくれている「ホジャケ先輩」こと大谷優奈だった。ホジャケ先輩は旭川商業高校吹奏楽部で淳先生の指導を受け、部長も務めた。それ以上に、ヒメと同じ金属アレルギーの経験者だったのだ。
高校入学時にはチューバを担当していたホジャケ先輩は高1の終わりごろに金属アレルギーが判明し、悩んだ結果、演奏を続けてコンクールにも出るためにコントラバスに転向した。ヒメの立場や気持ちは痛いほどわかる。だが、ホジャケ先輩とヒメの違いは、ヒメはいまさら別の楽器に転向しても、コンクールまでに間に合わないということだった。
ホジャケ先輩はヒメと膝と付き合わせてその思いに耳を傾けてくれた。自分の経験も語ってくれた。その後で、こう言った。
「私も宿命を恨んだし、神様も恨んだ。でも、なったものはしょうがないって思うようになったよ。ヒメもつらいと思うけど、楽器を吹くだけが部活のすべてじゃないんじゃない?」
楽器を吹く以外にも、自分にできることがあるのだろうか。それは、本当に意味のあることなのだろうか。自分にとっても、みんなにとっても——。
覚悟
ヒメは淳先生とも話し合った。
「ヒメ、こうなったら楽器はすっぱり諦めて、サポートに回るしかねえぞ。だがな、ピンチはチャンスだ」
先生の言葉に、ヒメは泣きながら頷いた。
「お前も知ってのとおり、全道大会は結果発表のときにステージに生徒は乗らねえ。でもな、全国大会は違う。代表2名がステージに出る。いいか、ヒメ。お前を表彰台に乗せる。先生、約束する」
そのとき、ヒメの目の前を遮っていたシャッターが一気に開いた。自分はもうコンクールの舞台には乗れないと思っていた。あのキラキラしたステージに立つことはできないのだ、と。でも、違う。明成が全国大会に出たら、自分はステージで表彰状を受け取ることができる!
思えば、自分が高1だったときには、3年生の部長はコロナで全道大会に出られなかった。どれほどつらかっただろう。どれほど絶望しただろう。けれど、部長は最後まで立派にその役割を果たし、卒部していった。ホジャケ先輩だって、自分と同じ苦しみを味わった。
ふと、「楽器を吹くだけが部活のすべてじゃないんじゃない?」というホジャケ先輩の言葉がよみがえってきた。
(支えていこう、みんなを。それが私にできることだ)
ヒメは心を決めた。

ただ、心配だったのは両親のことだ。ずっとヒメを応援し、保護者会の役員までして娘のコンクールでの活躍を期待してくれていた。
だが、淳先生が父親に電話で話してくれた。
「父ちゃんよ、俺はヒメを演奏からは引退させようと思ってる。もうヒメの腹は決まってる。でも、ネックになってるのは父ちゃんと母ちゃんの愛さ。そこは、娘の背中を押してやるのが親じゃねえか?」
そんな淳先生の言葉もあって、両親はヒメのつらい決断を理解してくれた。
告白
55人のコンクールメンバーを決めるオーディションの日。
直前のミーティングでヒメはみんなの前に立った。
(みんなにはどう思われるだろう。みんなの目が怖い……)
そう思いながらも、ヒメは思い切って口を開いた。
「実は……私は金属アレルギーになってしまい、楽器を吹くことはもうできません。みんなと一緒にコンクールに出たい気持ちはあったけど、私が入ったかもしれない枠は、頑張っている別の人に乗ってほしい。私はメンバーのサポートに回ります」
みんなは微妙な表情でヒメを見つめていた。部長であり、演奏面でもバンドを引っ張る存在だったヒメが外れることがうまく理解できず、戸惑いや不安が広がっていた。
ヒメ自身もまだ完全に割り切れたわけではなかった。みんなの前ではっきり口にすることで、自分の気持ちを整理しようと思ったのだ。あたかも、自分が発した言葉の型にドロドロした気持ちを流し込んで固めてしまうように。
(でも、やっぱりつらいよ……)
気持ちが後ろ向きになりそうなとき、後輩が声をかけてきてくれた。
「ヒメ先輩、これからも一緒に頑張りましょう!」
同期も「一緒にやっていこうね」「よろしくね」と口々に言ってくれた。
ヒメの気持ちは少しだけ救われた。
(これからだな。これから、ちょっとずつ、頑張っていこう——ううん、顔晴っていこう)
<次回>【吹部ノート 第6回】旭川明成高等学校(北海道)#3 は10月17日更新予定
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🔰シンクロナスの楽しみ方
全国の中学高校の吹奏楽部員、OBを中心に“泣ける"と圧倒的な支持を集めた『吹部ノート』。目指すは「吹奏楽の甲子園」。ノートに綴られた感動のドラマだけでなく、日頃の練習風景や、強豪校の指導方法、演奏技術向上つながるノウハウ、質問応答のコーナーまで。記事だけではなく、動画で、音声で、お届けします!
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